演じることは生きること「ドライブ・マイ・カー」

3時間という上映時間に気後れしてなかなか行けなかった。しかし一旦上映回数が少なくなったのにまた最近増えたので、ようやく観てみることにした。

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村上春樹の小説の中には業を背負った人物がたびたび登場する。この映画の主人公の妻もそうだ。夫以外の複数の男性とセックスしないと日常生活を生きていけない。夫はそれを知っているが、敢えて追及したりしない。お互い深く愛し合っていることを知っているからだ。彼女の過去に一体何があったのか気になるところなのだが、それは微塵も明かしてくれない。

愛する人を失い舞台にも立てなくなる主人公はそれでも妻が死ぬ前と変わらない日々を生きていく。毎日妻が残したテープを車の中で聞きながら。ここでちょっと主人公が表面的には普通に見えたとしても、かなり心が麻痺したやばい状態なんじゃないかと感じる。

それは多分主人公の職業が演出家で、生きることと演じることが深く密接しているからじゃないかと思う。演じるにはまずテキストを体に沁み込むまで暗記して冷静に状況を見極めないといけない。それが自分の生き方にまで反映されているので、主人公は自分の感情通りに生きていけない。

それが自分より冷静に生きるドライバーに出会い、彼女の物語に触発されてやっと大声で泣くことが出来たのではないか。

3時間は普通に考えたら映画としては長い。しかし長い上映時間が必要な映画もある。「大象席地而座(象は静かに座っている)」もそうだ。

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長い時間を経た後にくるカタルシスがたまらない。もちろん単なる駄作なら途中でも帰ってやる。

この映画の大事な小道具として車がある。13年前から乗っているサーブ900。サンルーフもついて、カセットで再生しないといけなくて、ツードア。どれも演出には欠かせない要素だ。

車種については詳しくないが、車が絡む撮影の大変さは経験したことがある。車内を撮影する場合、助手席や後部座席でカメラマンや助手がぎゅうぎゅう詰めに乗って、時にはトランクにまで人が乗り込む場合もあったりする。車の前からの撮影なら車の前に小さい足場を組んでそこにカメラマンがかじりついたままえんえんと走ったり。望遠での撮影ではカメラマンやスタッフが山の上の道なき道をカメラを担いで登り、トランシーバーでタイミングを計りながら撮影したり。繋がりがあるのでシーンごとに洗車したりわざと汚したり。この映画は運転中のシーンも多いしカット割りも多かったから、たいへんだったんじゃないだろうか。

この作品は映画館向き。まだ当分上映は続きそう。

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