ムイ姐さんを再び見られるなんて「梅艷芳(アニタ)」

ただせさえ席の間隔が狭いABCホールは満席で、人でぎゅうぎゅうだった。

ドラマ版を見てからの鑑賞だが、やっぱりグッと胸にこみ上げるものがある。

 

まずは80年代から90年代の香港の再現度がすごい。

茘園:幼い梅艷芳が姉と一緒に舞台で歌った場所

1949年に茘枝角に開園。当時は遊園地や動物園、劇場もあった。1997年3月に閉園して今は公園になっている。

 

裕華國貨:姉と駆け抜けていくところ

昔も今も香港のお土産用ポストカードに必ずある風景。

 

利舞臺(リーシアター):オーディションの場所

1925年に銅鑼湾(コーズウェイベイ)に建てられた劇場。1991年に建て替えられて今は無印良品ユニクロがあるショッピングセンターになっている。

 

香港殯儀館(香港葬儀場):張國榮レスリー・チャン)の葬儀の場所

場所は北角。2003年4月に亡くなった街の様子をそのまま再現している。今でも命日の4月1日には中環(セントラル)のマンダリンオリエンタル香港の前にたくさんの花が添えられる。

 

梅艷芳は香港を代表するスターだが、当時私は別の芸能人ばかり追いかけていたので、彼女のコンサートには行っていない。衣装が毎回派手なのでニュースで目にした程度だ。なのでカラオケ店でのビンタ事件もまったく知らなかった。

この事件はビンタだけにとどまらず、次の日そのヤクザが誰かに襲われて負傷。その治療のために入院していた病院に今度は殺し屋が現れて、拳銃でそのヤクザを打ち殺してしまった。その後のヤクザ同士の報復合戦から逃れるために梅艷芳は慌ててタイに逃げた。これはかなり怖い。

無事香港に戻った後は慈善事業を始めたりするが、その前からムイ姐さんは男気に溢れていた。1989年の天安門事件の時には、北京の学生を支援するためのチャリティコンサートに参加して寄付をしている。そのため中国大陸では出禁になり、上海で撮影していた關錦鵬(スタンリー・クワン)監督の映画「阮玲玉(ロアン・リンユィ)」に出演できず、代わりに張曼玉マギー・チャン)が主演を務めたのは有名な話。

当時の映像が思っていたより多かったし、使いかたも効果的だった。

梅艷芳と張國榮の友情シーンも多めだ。劉徳華アンディ・ラウ)とも親友だが、アンディは存命中なので多くは語れなかったのだろう。

あと、やっぱり音楽。「夕陽之歌」の最後の「バイバイ!」でウルっと来たが、その後の「歌之女」でも歌詞でやられた。当時の香港を知っている人には泣ける映画だ。

 

ドラマ版は全6話。香港、台湾、シンガポールのディズニープラスで視聴可能。